














武将が愛した仏像 源義経 金銅千手観音菩薩立像
武将の守護本尊、その金銅美
源義経が信仰した千手観音立像を、歴史資料に基づき忠実に再現しました。ブロンズ製の本体と桧材の厨子が織りなす、鎌倉時代の面影を残す精緻な造形です。高岡銅器の技が光る逸品が、いにしえの息吹を今に伝えます。
義経と歩んだ歴史の証し
空間に息づく、静謐な存在感
温かみのある光の中で、慈悲深い眼差しを向ける千手観音像。さりげなく置くだけで、部屋に落ち着きと品格をもたらします。慌ただしい日常に、心の平安をもたらす特別な一点となるでしょう。
心を癒す、安らぎの光景
奇跡の十六臂、稀有な造形美
一般的な千手観音とは異なる、胸前の合掌手と宝珠手、左右六臂の独特な十六臂の姿。仏師・藤田燿憶が細部までこだわり、稀有な個性を完璧に表現しました。義経が託した願いが込められた、歴史の一ページがここに蘇ります。
時代を超えた、匠の技と物語
天下の英雄 源義経の奇跡的な武功を支えた守護本尊
平家討伐の最大の英雄、源義経(1159~1189)。兄 頼朝との確執から非業の死を遂げたにもかかわらず、その存在を惜しむ声は絶えません。それは弱者や薄幸の者への同情を表す言葉「判官贔屓(びいき)」が義経の官職、検非違使の尉(判官)に由来する通り、悲劇の武将だったからです。
本製品は、今なお屈指の人気を誇る義経の守護本尊とされる『金銅千手観音菩薩立像』を再現したものです。ある研究によるとこの守護本尊は、仏像本体と蓮華座は鎌倉時代、仏龕(ぶつがん)は後年の作とされ、仏像本体の実寸が7センチと小さいためか、胸前に合掌手、腹前に宝珠手、左と右それぞれに六臂の合計十六臂という一般的な千手観音とは異なる造形が特徴です。仏龕背面には寿永三(1184)年正月に義経が京都のお寺に奉納したことを示す碑文が刻まれます。義経が幼少期を過ごした鞍馬寺の本尊「尊天」の三身一体の一尊が千手観音であり、また母 常盤御前が義経を含む三人の子を出家させた際、千手観音に無事を祈願したと伝わることからも、義経にとってこの小さな「金銅千手観音菩薩立像」はとても縁深い仏像だったといえます。
もし、義経が「金銅千手観音菩薩立像」を手放さなければ……?
仏龕背面の碑文によると、京都の寺院に「金銅千手観音菩薩立像」が奉納されたのは寿永三年正月。この時期の義経は、宇治川の戦いで志田義広の軍勢を破って入京を果たし、敗走した木曽義仲を粟津の戦いで討ち取り京の都に鮮烈なデビューを果たした頃と推測されます。
その後、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いにおいて立て続けに天才的な軍略を発揮した義経は、入京から1年余りの短期間で平家討伐を果たし絶頂期を迎えます。しかしこの歴史的戦勝こそが、兄 頼朝との確執の始まりでもありました。歴史に「もし」はタブーですが、義経が守護本尊の「金銅千手観音菩薩立像」を手放すことがなかったら、頼朝との関係もまた違っていたのかもしれません。
仏師「藤田燿憶」の技と伝統工芸高岡銅器の国内メーカーにより再現!
製品のモデルとなった『金銅千手観音菩薩立像』は、紆余曲折を経て現在は和歌山県の名刹に所蔵されています。本体、蓮華の蕾を模した仏龕ともに金銅製で、保存状態も良好であったのか鍍金も良く残されています。仏像ワールドではこの逸品をほぼ原寸で再現するにあたり、原型制作を仏師 藤田燿憶、彩色監修を仏像彩色師 篁千礼に依頼しました。藤田仏師が入魂の技で彫り上げた原型をもとに、千手観音立像本体は国指定伝統的工芸品の第一次指定を受ける高岡銅器の一流工房で実物と同様の金銅仏に仕上げました。一方、厨子と台座は桧材を使用し、中国屈指の木彫工房で忠実に彫刻。さらに姉妹ブランド「イスム」の工房で金銅製を思わせる味わい深い彩色を施しました。構想から製品化に至るまで1年あまりの期間を費やし制作した当製品。最終的に藤田仏師の監修を経て、署名落款の入った桐箱に納めてお届けします。
天才的軍略で平家を討伐した悲劇の英雄 源九郎?判官義経!
平家討伐の最大の英雄 源義経(1159〜1189)。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名は牛若丸。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の庇護を受けていた際、異母兄である源頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じました。そして、一ノ谷での「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」、屋島の「弓流し」、壇ノ浦の「八艘(はっそう)飛び」など、合戦場での奇跡的な活躍を経て平氏を滅ぼし、平家討伐の最大の英雄となりました。
義経は死なず!今も人々の心に語り継がれる義経の物語。
栄光と挫折が激しく変転した義経の生涯は日本人の琴線に大いに触れ、軍記物語の「義経記」「平家物語」には、五条大橋での弁慶との戦いや源平合戦での活躍、静御前との悲恋が記され、そのドラマチックさ故に、歌舞伎や人形浄瑠璃、能の演目に義経を主人公とした「判官もの」というジャンルを生み出しました。また歴史的英雄の死を受けとめられない人々の思いから、義経は衣川の戦いの難を逃れたとする「義経生脱説」が囁かれ、江戸時代中期になると、義経は蝦夷に落ち延びアイヌの棟梁になったとの説まで生まれました。
さらに江戸時代末期に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、源義経が成吉思汗(チンギス・ハーン)であったとの大胆な論を説き、義経を愛する人たちの心を強く打ったことから大正時代には『成吉思汗ハ源義経也』(小谷部全一郎著)が出版され一大ブームとなりました。昭和に入ると義経=成吉思汗の決定版的名著『成吉思汗の秘密』(高木彬光著)が出版され「義経生脱説」誕生から300年を超える長きにわたり、義経の物語は語り継がれ、人々の心を揺さぶり続けているのです。
商品の詳細
商品の特徴
源義経の守護本尊とされる「金銅千手観音菩薩立像」を忠実に再現しました。
- 鎌倉時代の仏像本体と蓮華座、後年の仏龕を再現
- 胸前の合掌手、腹前の宝珠手、左右六臂の合計十六臂という珍しい造形
- 仏龕背面には寿永三(1184)年正月に義経が京都の寺院に奉納したことを示す碑文が刻印
- 義経が信仰したとされる縁深い千手観音
珍しい十六臂の造形
制作について
伝統の技と現代の技術が融合した、細部にわたるこだわり。
- 原型制作は仏師「藤田燿憶」、彩色監修は仏像彩色師「篁千礼」
- 本体は国指定伝統的工芸品の高岡銅器一流工房で制作された金銅仏
- 厨子と台座は桧材を使用し、中国の木彫工房で彫刻後、姉妹ブランド「イスム」の工房で彩色
- 構想から製品化まで1年を費やした逸品
【原型制作:仏師 藤田燿憶(ふじたようおく)】
- 1955年 栃木県生まれ
- 1970年 仏師・渡邉貞光氏に弟子入りし、5年間の修行を積む
- 1975年 独立
- 2012年 (一社)「日本画府第59回公募展」初入選「浮現観音」(奨励賞)/「気付き観音」(入選)
- 2013年「気付き観音」入選。作家として高く評価される。現在は本拠地の東京で仏像彫刻講座を開くほか、日本橋高島屋など全国の有名百貨店で個展を開催し、仏像普及のため精力的に活動する。
【彩色監修:彩色師 篁千礼(たかむらちひろ)】
- 女子美術大学、太平洋美術研究所に在籍後、1987年、彩色木彫作家 平野富山氏に入門。
- その後、富山の後継者である平野千里氏のもとで20数年にわたり修行を積む。
- 2012年に独立し篁千礼彩色研究所を設立。誰もが親しみやすい温かみのある作品から芸術性の高いものまで幅広い創作活動を行う。
サイズ詳細・素材
各部の詳細サイズと使用素材です。
- 商品コード: 560-271
- ポイント: 2,940
- 本体(約): 高さ85×横44×厚み16mm、重さ135g
- 厨子・台座(約): 高さ185×幅95×奥行65mm、重さ147g
- 本体素材: ブロンズ
- 厨子・蓮華座素材: 桧
付属品
商品と共にお届けする付属品について。
- 署名落款の入った桐箱
署名落款入りの桐箱に納めてお届け
配送情報
通常、ご注文から以下の期間でお届けいたします。
- 納期: 3~5日
【商品についてのご注意】
- 商品写真は実際の商品の中から無作為に選んだものを撮影しております。
- 商品は一体一体手作業で仕上げを行っており、高レベルな均一化を図っておりますが、まったく同一の商品はございません。また、木目や表情などが一体、一体異なります。
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